こちらのページでは
家族の経験談についてご紹介します

経験談は随時更新予定となっていて
ダウン症児の年齢は掲載当時のものです

「人生終わった…」から1年後

隆之介(1歳4ヶ月)の母
 

「私の人生終わった」これは、私が次男を出産してすぐ、頭に浮かんだ思いです。

次男がいるNICUに行く度「特徴的なつり目…全然かわいくない…」と思ってしまい、なるべくダウン症っぽく見えない角度で写真を撮ったり、面会自体を避けたりした事もありました。「養子に出したい」「ダウン症だなんて夢であってほしい」「健常児がよかった」「受精卵からやり直したい…いや子ども2人でいいから妊娠前に戻りたい」…そんなことも考え、自分の子どもなのにかわいいと思えない自分も嫌で、次男を出産してから1カ月、毎日泣いて過ごしていました。

次男が生後1カ月を過ぎた頃、NICUから退院することに。自宅で次男と過ごす時間が増え「あれ、かわいいかも?」と、少しずつ次男を愛しいと思う気持ちが芽生えてきました。

”こやぎの広場”に行き、同じダウン症の子を持つお母さん達と交流して「こんなに黒い感情を持つのは、自分だけじゃないんだ」と思えた事も、大きかったです。 

成長するにつれ次男が私に笑いかけてくれることが増え、そこからはどんどん可愛さが増していきました。
今となっては、次男の笑顔が家族の癒やしとなり、特に長女と夫は次男にメロメロです。 「うちに生まれてきてくれてありがとう」…今では、心からそう思います。 

闇にいた私に見えた光

斗海(1歳8ヶ月)の母

出産後、旦那に「ダウン症かもしれないけど、一緒に育ててくれる?」と連絡をしたら、「もちろん」「これから大変だな」「何かが劣ってると言う事は、他の何かが凄く出来る!得意!という事だから、俺らが苦手な事が得意かもしれないから、探す事が大変だな」(前向きな意味の「大変だな」でした)と返ってきて、旦那の言葉にとても救われました。


また、弟に障害がある友人に、子どもがダウン症であることを報告したら「3歳までは他の赤ちゃんと一緒だと思うよ。そこから色々壁にぶつかって考えたらいいんじゃない?軽々しく言ってないからね。協力するから、楽しんで」と言われ、実際に障害児が身近にいた人からの言葉に「そうなのかな?私、視野が狭かったかもな」と気持ちに変化が現れました。


さらに、産後に入院していた病棟の看護師さんからも「友達の姉妹にダウン症の子がいて、その家族はいつも笑顔で楽しそうなんだよね。正直羨ましい」と話を聞く機会もあり、私の気持ちは段々と落ち着いていったのです。

ダウン症の子を出産して闇の中にいた私でしたが、色々な人からの言葉で光が見え、今では楽しく育児をしています。

愛するボンジュ

里弦(2歳 7ヶ月)の母

ボンジュ(我が家では、愛を込めてボンズ=ボンジュと呼んでいます)を授かった時、初めての妊娠ですごく嬉しかったし、やっとコウノトリさんが来てくれたとワクワクしたのを覚えています。

妊娠期間中、胎児に浮腫があったり、羊水が多かったりで総合病院を紹介され、何回もトリソミーについての説明を受けました。


ですが、胎児の体についての問題はなかったので「大丈夫!」という結論になり、一般の産科病院で3週間早くボンジュが産まれ、産まれて直ぐに、お顔の特徴と産まれる時に心臓が一度止まったことを理由に、子ども総合病院に運ばれることになりました。

そのままNICU.GCUに入院。入院期間中は「ダウン症かも」という検査結果待ちで、精神的に地獄の日々を過ごしました。


結果、ダウン症だと説明を受けた時にも「なぜ健康に普通に産んであげられなかったのか」「何が悪かったのか」と自分を責めましたが、ボンジュが退院し、育児が始まればそんなことも言っていられませんでした。どう前向きになれたのかははっきり分からないけれど、障がい児・健常児ではなくて、可愛い私のボンジュには違いないな、ということ。


できることが増えるのはゆっくりだけど、それも個性で、成長ひとつひとつが大事なことだな、と実感しています。私のもとへ来てくれてありがとう、可愛いボンジュ。

ダウン症の子どもを産んで変わった価値観

 壮之助(2歳6ヶ月)の母

次男がダウン症です。
1ヶ月早く前期破水、出産し、小さくホワホワしていたけど、力強く一生懸命生きようとしていました。ですが、ダウン症の診断をすぐには受け入れることができず、ネットで検索魔になったり、「どうして私なんだろう」「普通に産んであげられなくてごめん」と、何度も自分を責めたりしました。

ですが、ある時「普通ってなんだろう?この子にとっての普通=ダウン症の自分、なんだから『ダウン症だから普通じゃない』というのは、違うな」と思うようになりました。
この子はこの子であり、私の家族である事には変わりなく「この日常が私達にとっての当たり前で、普通なんだな」と思い、「『ダウン症でごめん』と思うのは、違う」と考えるようになったのです。

今では、この子のためにできる事を探したり、家族みんなで幸せになるように考えたりして、毎日を過ごしています。ただ言える事は「産んでよかったと思うし、幸せ」という事です。
私達家族のところにきてくれて、ありがとう。大好きな大好きな家族です。

可愛いと思えるまで

梨桜 (2歳8ヶ月)の母

予定帝王切開で待望の第二子が誕生しました。「なんか可愛くない。上の子の時となんか顔が違う」これが、我が子を初めて見た時の感想です。

娘は低酸素状態だったので、産後すぐに転院。娘の写真を改めて見ていた時に、「ダウン症かもしれない」と、ふと頭をよぎりました。
生まれた娘が健康ではなく、心臓に病気があること、ダウン症かもしれない、ということに全く実感がありませんでした。会いたいとも特に思わず、義務感で面会に通い、生後2ヶ月過ぎに退院し自宅に来ました。

可愛いとも何とも思えずに、義務感で世話をする毎日。不安や心配が大きかったので考えるのは止めて、無の感情で過ごすことで自分の心を守りました。それでも、突然涙が溢れて悲しくなることはありました。

そんな私を救ったのは、SNSで知り合った、娘と生まれが近いダウン症の子のママたちです。
心配や不安を話し、毎日、他愛もない世間話や冗談を言って笑い、こどもたちの近況報告をすることで、心が晴れていきました。

娘の表情や仕草が出てくるようになってからは、少しずつ可愛いと思えるようになりました。
笑ったときに出るアイーンの顔や、泣く前のとんがり口は、可愛さゆえに今ではついついさせてしまうほどで、これからも娘の成長がとても楽しみです。

時間が過ぎると幸せいっぱい♡♡♡ 

 泰河(15 歳)の母 

大きな不安は「知らない、分からない」から押し寄せてきたのだと、今だから言えます。 ダウン症はどんな成長をするのか知らなかったので、赤ちゃんの頃は寝ているだけでも寝過ぎじゃないだろうかと不安に思っていましたし、実は「一緒に死のうかな」と頭によぎった日もありました。不安って怖いですね。

でも日に日に大きくなる息子はただただ可愛くて、夫婦で話し合い決めたことは「起きてもいないことは心配しない」「今を大切にする」でした。 そして不安に負けないように私がとった行動は「学び」でした。 発達支援の学びを得ることで、誰もが多様でカラフルであることに気がついたのです。 
元々音楽講師である私は同時に、音楽療法グループにじおとひろばを立ち上げ活動をしています。音楽は目に見えない光のように不安で暗い気持ちを明るく照らし、笑顔の魔法をかけてくれます。

大切なことは出来ないこと探しではなく楽しく生きること。 毎日ポジティブに何でも経験させてあげて下さい。 
今では水泳、スキー、野球、ピアノ、カラオケに旅をすること、好きな事がたくさんある人生を力強く生きています。そんな姿に元気をもらい、息子との出会いで大きく成長出来たのは私だったのです。 

生まれてきてくれてありがとう! 私をお母さんにしてくれてありがとう! あなたは私の宝物です。 

さらば私の15年間の世界観

隆之介(1歳4ヶ月)の姉(15歳)

弟がダウン症だと母から聞いた時は、びっくりしました。
私自身、ダウン症について全く知らず、定期的に体温が下がる病気かと思ったほどです。なので、ダウン症について、ちゃんと自分で調べて知ってみようと思いました。実際にダウン症について調べてみると、TikTokでダウン症の子の親向けに「成長はゆっくりだけど、それ以外は普通の子と変わらないから大丈夫」という投稿をしている人がいて、安心しました。

弟自身、障害者ということで将来的に差別を受けるんじゃないかと心配に思ったし、今でもその気持ちはあります。ですが、弟が産まれてから、ダウン症の家族の集まりに参加したり、ダウン症の家族団体の活動内容を知ったりすることで、「自分が今まで知っていた世界は狭かったんだ」と思いました。

弟が体調を崩して入院したときは、弟に会えないのが寂しくて、付き添いしている母にビデオ通話をお願いするほど、私にとっては本当に本当に可愛くて仕方のない弟です。

私はまだ子どもなので、今はまだ出来ることは少ないですが、将来的には、弟のような障害を持った人達が差別されないような活動をしたいと思っています。